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進藤ヒカルは、囲碁をほとんど知らないうちに塔矢アキラを負かします。石を置く場所を教えていたのは、ヒカルにしか見えない藤原佐為。アキラが衝撃を受けた対局を、ヒカル自身は十分に理解していません。
普通なら、強い味方を手に入れた少年が勝っていく話になりそうです。ところが『ヒカルの碁』は、自分で打ち始めたヒカルが、アキラに失望されるところへ進みます。借りた力で勝つより、自分の一手で相手の前に座りたい。その願いが、すでに勝った相手を遠い目標へ変えるのです。
ここではジャンプコミックス通常版1〜8巻を、囲碁部の大会での敗戦、院生への転向、プロ試験予選の始まりまでネタバレありで扱います。8巻にはすでに予選が始まっているため、院生になるまでの話だけが収まる範囲ではありません。(集英社・通常版8巻)
佐為の勝利を、ヒカルはまだ喜びきれない
祖父の家で古い碁盤を見つけたヒカルに、平安時代の棋士の霊、佐為が現れます。佐為には、自分の手で碁石を動かすことができません。碁を打つためには、ヒカルがその場へ行き、指示を聞いて石を置く必要があります。
一方のヒカルは、佐為が求める「神の一手」も、目の前の相手の実力も知りません。碁会所で会ったアキラは、名人・塔矢行洋の息子で、プロを目指せるほどの力を持つ少年でした。ヒカルの不用意な態度と盤上の強さの落差が、アキラを戸惑わせます。
佐為の指示で勝つことはできます。しかし、なぜ相手が苦しんでいるかも、どれほど重要な一局なのかもわからなければ、勝利の重さは自分に届きません。アキラの必死さを見たヒカルは、そこで初めて碁を理解したいと思うようになります。
アキラがヒカルの中に幽霊を見抜いたわけではありません。外から見えるのは、同じ名前の少年が、あるときは途方もなく強く、あるときは初歩も知らないという矛盾です。その説明がつかないからこそ、アキラはヒカルを追わずにいられなくなります。
囲碁部の大会で、負ける方を自分の対局にする
筒井公宏や加賀鉄男との出会いを経て、ヒカルは葉瀬中の囲碁部に関わります。まだ小学生のうちに中学生の大会へ出てしまうこともあり、最初から品行方正な競技者として始まるわけではありません。
中学へ進んでからは、ヒカルが自分で打つことに意味を見つけていきます。アキラは海王中の囲碁部に入り、もう一度あの相手と打つため、大会で三将の席に座ります。互いが望んでいる対局が、ここで大きくずれます。
アキラが求めているのは、かつて自分を破った強さです。ヒカルはその期待に応じようと、初めは佐為に打たせます。けれども途中から自分で考えて打ち始め、アキラに敗れます。突然弱い手を打つ相手に、アキラは怒り、失望します。
ヒカルの選択を、勇気を出せば相手に伝わる場面として美化することはできません。アキラは本気で準備してきたからこそ、望んだ勝負を奪われたように感じる。それでもヒカルが自分で打ちたかった気持ちは残ります。二人が本当のライバルになるには、この不釣り合いを時間をかけて縮めるしかありません。
ネット上なら、佐為自身の名前で強くなれる
ヒカルが自分で打つ時間が増えるほど、佐為は対局を待つ立場になります。その佐為へ用意された場所が、夏休みのネット碁でした。「sai」という名前なら、目の前にいる少年の年齢や態度と、盤上の強さを結びつけられずに済みます。
佐為は次々に対局し、その強さが国境を越えて知られていきます。相手の顔も身元も見えない場所で、棋譜だけが人を引きつける。普段は誰にも存在を知られない佐為が、碁によって確かに相手を持てる時間です。
ヒカルも、そばで佐為の対局を見続けます。石を機械的に置いていた頃と違い、今は何が起こったのかを知ろうとしている。その見方の変化が、本人の碁へ蓄積されます。強い棋士が隣にいるだけで、実力が自動的に移るわけではありません。
この夏休みのネット碁は通常版4〜5巻に描かれます。佐為に好きなだけ打ってほしい気持ちと、自分ももっと打ちたい気持ち。この二つが同時にあることが、二人の暮らしに小さな緊張を生んでいきます。
院生になることは、囲碁部を離れることでもある
先にプロになったアキラを追うため、ヒカルは院生を目指します。そこで問題になるのは、単に練習の難しさではありません。院生になると、それまでの中学の大会へ同じようには参加できなくなります。囲碁部の仲間と取るつもりだった勝利から、離れる選択でもあります。
ヒカルにとっては前進でも、三谷祐輝たちには置いていかれた気持ちが残ります。目指す場所が変わるとき、今いる仲間に何も起きずに済むわけではない。この別れを挟むので、プロへの道がただ階段を上がるようには見えません。
院生には、和谷義高や伊角慎一郎がいます。友達になり、練習の相手になり、同じ試験の席を争う相手にもなる人たちです。アキラという一人の天才だけを見ていたヒカルの視野に、それぞれの事情でプロを目指している顔が増えていきます。
若獅子戦を目標に順位を上げても、出場した初戦でヒカルは敗れ、アキラとは戦えません。それでも、相手のプロに真剣に読ませるところまで来た。アキラにもう一度見てもらうための実力が、少しずつ本人のものになっています。
8巻の苦戦が示す、佐為には代われない仕事
プロ試験予選では、院生以外の受験者も相手になります。普段の仲間との対局では動けるヒカルが、大人の気迫や場の空気に押される。知っている手を盤上へ置くためにも、対面する相手への慣れが要るのです。
佐為が代わりに打てば、目の前の一局には勝てるかもしれません。しかし、それではヒカルが院生になった理由がなくなります。和谷や伊角と碁会所へ通い、自分の身体で対局の場を覚える必要があります。
序盤の面白さは、強い霊のおかげで苦労がなくなることではなく、碁を好きになったために引き受ける苦労が増えることにあります。アキラを負かした手を持っていた少年が、今度は自分の名前に見合う一手を探している。8巻まで読むと、作品名にある「ヒカルの碁」が、最初から与えられたものではないとわかります。
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